宮原線の終着駅、熊本県肥後小国沿線の木材と穀物などの運搬と人々の輸送に小型でありながら力強く活躍していました。
 
宮原線、廃線の記録
1984年(昭和59年11月30日)宮原線恵良駅~肥後小国駅間(266㌔)は、道路交通網の発達で赤字路線となり廃線。
この日の最終列車は、午後8時13分肥後小国駅、豊後森駅に同
9時13分着列車番号「3470」「さよなら」国鉄職員の思いを込めた規則破りの番号だったという。このことで、町田、宝泉寺、麻生釣、北里、肥後小国の各駅名は宮原線という路線名と共に永久に消滅しました。

公園内は国指定の久留島氏庭園となっています。
8代藩主久留島通嘉が造り上げた日本庭園。
藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門前庭園の三つからなり、いづれも四季折々の美しい表情を見せてくれます。

ふるさとガイドのかたたちの案内も致します。

末廣山の斜面と裾部を利用した、御殿に接する藩主御殿庭園。 


これらの三つの庭園は、末廣山の高低差、地形、眺望などを最大限に利用して配置され、園路によって有機的かつ効果的につながれた回遊式の庭園と考えられます。

末廣山の南端に建てられた栖鳳楼の周辺をとりまく栖鳳楼庭園。 


枯山水の栖鳳楼の庭園。
森藩の記録には、「紅葉の御茶屋」と書かれており、天保二年(1821)に完成したとあります。真言宗の高僧「不退堂」によって栖鳳楼と命名され、神社祭典の為参篭(御通夜)や月見、花見の宴などにも使われていました。一階はお茶室風になって、庭園はくじゅう連山や城下町の遠景を取り入れたもので豪華な飛び石が配置されています。二階からの展望は素晴らしく、お城の天守閣の趣をなしています。

末廣山西側の清水御門前堀の一部を庭園化した清水御門前庭園。  


池泉式の清水御門の庭。

「日本のアンデルセン」と呼ばれる久留島武彦は、明治、大正、昭和の三代にわたって、信じ合うこと、助け合うこと、違いを認め合うことなど、人が人として、共に生きていく上で必要な教えを楽しいお話にのせて子どもたちに語り聞かせた教育者です。